由良山攻め


2020年02月

高松平野にはポツンポツンといくつかの単山が浮かび上がっている。讃岐山脈を背景にするその山々は、周囲が平坦地であり、それぞれ独立している為、より一層美しく屹立しているように見える。
写真右手には200mほどの山がいくつか集まっている。左手にポツンと見えるのが由良山で120mという低山である。この由良山が昭和の一時期に採石業として栄えた山で、現在でもその遺構が残っているという。
周囲の山も同じような岩質で江戸時代の丁場跡が残っているそうであるが、昭和に由良山が特に選ばれたのは、天に頂きを向ける周囲の山とは違い、まるで地に伏したかのようなその山容が、採石するに容易であったからかもしれない。

由良山・遠景

由良山・近景


石清尾古墳群、庵治石、金山サヌカイト。それら讃岐の観光地を巡っていると「石の国」であるということがよく分かります。そして、もう一つ讃岐を代表する石の観光地がございます。それは由良山という採石場で、高松平野のまっただ中にあります。高松の観光地から高松平野を望み見ていても由良山がくっきりと見え、その形に讃岐を訪れた観光客は魅了され、自然と関心を持つようになっております。私もその例にもれることなく由良山に興味をひかれ、今回訪問することと相成りました。

由良石の採掘は戦国時代からとも言われていて、採掘が盛んになったのは江戸末期からだそうです。主に墓石や灯篭などが作られていましたが、明治以後は石垣や建物の基礎に使用されるようになりました。日本の敗戦後に採掘がより活発になり、連日発破や採削機の轟音が鳴り響いていたそう。それほどまでに採掘しまくった由良石も、1980年代からの貿易の自由化などにより閉山することになり、現在は人間たちがつけた傷跡を公開し1つの記録として残しております。

由良山は最寄り駅から意外と遠く、琴電長尾線の水田駅から徒歩で40分ほどかかりました。広い平地なので水田ばかりが広がっているようにも思いますが、住宅も多く見受けられ、市街地化が進んでるようにも見えます。
先日ホテルで見た高松マップの記憶を頼りに進みます。とはいえ、春日川に沿って南へ行くだけですし、由良山自体がすでに目視で確認できる場所にあるので、なんの不安も迷いもありません。やがて、由良山のすそ野に建立されている神社の参道が見えてきて、立派な灯篭が並ぶ中を歩き登山口である清水神社へと到着しました。

由良山麓の清水神社

清水なので水の神様か

まずは神社へお詣り。ついでに説明版を見てみると、清水神社という名で、祭神が景行天皇の皇子神櫛王という方。その神櫛王の孫から甕が奉奠され、その甕を使い空海の弟である真雅という僧侶が祈雨を行ったそうです。その甕は、大干ばつの際は掘り出して、雨乞い神事に使用していたとのことですが、戦国時代の戦乱でいくつも壊れてしまった為、甕塚をこしらえ土中に保管していました。
しかし、雨乞い神事自体が1944年以降途絶えて実態が分からなくなってしまっており、伝えられている甕塚とはなんだろうか?と平成24年に甕塚を掘り返して、甕が2つあるのを確認したそうです。
甕が収められていたのは、由良石の板石で構成された竪穴式石室で、東西93cm、南北180cm、高さ100cm。中央に板石を立て2区画に分けられて、それぞれの石室からは甕の破片が発見され、いずれも7世紀頃の須恵器で、復元してみると高さ107cm、最大径95cmという大きさだったようです。
少し不思議なのは甕の大きさが石室の大きさを上回っているということ。径も高さも入りきらない計算です。破片状態で発見されたことから考えても石室に埋葬するときにはすでに破壊されておったのかもしれません。そうなると1944年までの雨乞い神事は甕を使っていなかったということになり、色々と邪推してしまいます。
現在は埋め戻されていると書かれていましたが、それも復元したものが入っているのか、破片が入っているのか非常に気になるところで、ご存じの方は是非ご教授いただきたいと思います。

現代でも気候変動で干ばつが起こった際には、この甕を使用する事があるやもしれません。迷信と安易に考える事無かれ、現代も科学という名の迷信を信奉しておるのであります。

このような水の伝説を持つ清水神社が由良山への入口となっていて、東側と南側にそれぞれ山頂へと続く道があります。
東側は徒歩道、南側は舗装道路で西登山口まで行き、そこから徒歩道となっています。それぞれ見どころがあるので、グルッと回ってみるのがよいでしょう。
由良山案内図 ※クリック拡大

東登山口から

途中にあった石切り場

神社の境内から登っていくのは東登山口。昔は一山を巡っていたであろう88ヶ所めぐりの地蔵尊が登山口付近に固められておりました。
少し登ると見えてきたのが石切り場であります。よく見るタイプの石切り場で、玉石と言われる、地中より浮いた石を掘り起こしたのではないかと思います。これは江戸時代の石切りの名残りかもしれませんね。

有刺鉄線張られる散歩道

危険な眺めだった

さらに山を登っていくと、道の両側に有刺鉄線が張られるようになってきます。これを見た私は思わず「なんやこれ、有刺鉄線つけてる方が危ないやないか。ええ加減にせえよ」と呟き、不承不承とつむじを曲げながら歩きました。
しかし、私はこの道の先を知らなかったのであります。右の写真を見て頂きたいでごわす。狭まっていった道のすぐ外は、なんと!絶壁の崖ではありませんか!
優しい日差しのもと、気分よく歩いていた散歩道。その脇には絶望の隣人が大きく口を開けて待っていたのであります。まるで人生を象徴したかのようなその構造に私は恐怖を覚え、ただその場に立ち尽くすだけでした。

しばしの沈黙の時を経て、私は意識を取り戻し歩きだす。やや歩くと由良山頂広場へと到達。ここは広場になっていて、屋島や五剣山などの景色をゆったりと楽しむ事ができます。ここで緊張をほぐし、先ほど通ってきた道を振り返って見てみます。

由良山頂広場

由良山は斜めに削られている

右写真は先ほど私が恐怖におののいた場所です。振り返ってみてみると、なぜあんなに驚いたのかがよく分かります。歩いていた道の脇はまだ山に上がっていくかのように盛り上がっていて、まさかすぐそこが崖になっているなどとは思いもよらないのです。そして斜めの節理に沿って削られている為、いざ崖の傍に立って下を覗きみてみると足元がスカスカなのです。
これが採石によるこの山の傷跡で、見た目の印象だけだと半分くらい削られているようにも見えます。人の行為とは恐ろしいものでありますが、このようなことは珍しいことでもなく、人が生活している場所は何らかの破壊がされているので、こうして保存しているということのほうが稀でありましょう。

山頂広場で景色を堪能し、祠にお祈りを捧げます。2つあった祠の1つには「岩石と共に落下」と記されていて、人が作業中に落ちたであろうことがうかがえ、また恐怖がよみがえってきます。私は、その恐怖を振り切るように前に進み西登山口へと降りていきました。

削り取られたところを下から

さらに下も削り取られている

西登山口は比較的安定した足場で安全安心に降りる事ができます。少し降りると、先ほど上から見た石切り跡が見えてきます。15mほどの高さでしょうか、四角形か五角形のような形の岩が地面から斜めにズラッと生えている感じです。その岩々がまるで自分を覆うかのように見下ろしているのが印象的ですが、下からだとあまり怖さは感じず、むしろ美しいと思えました。
そして、ここより下にも削り取られた場所があり、そこは池になっています。湧き水なのか、雨水なのかは分かりませんが、それほど掘ったということでしょう。

黒雲母安山岩

これも同じく黒雲母安山岩

この付近で割れた岩を見てみましょう。黒雲母安山岩という名前の岩石で、左写真で見えるような黒い粒が黒雲母で、これがたくさん入っている安山岩ということです。場所によっては黒い粒は少なく、白い粒の石英が多いものもあり、岩石が一様ではないことがよく分かります。
加工がしやすかった岩と説明されておりましたが、とても固そうな岩で加工しやすいようには見えませんでした。

水蓮の池の隣の採石場

水に映る姿が幻想的

破壊した場所が美しい
さらに下へ降りていくと、マップに書かれている水蓮の池という場所にたどりつきます。ここでは幻想的な空間が広がっており、なぜ保存したかの理由が分かるようです。人がアートとして切磋琢磨して作ったものよりも、破壊していて偶然できてしまった景色のほうが美しい。このように世の中が矛盾で成り立っているということが水蓮の池には表現されていて、矛盾の象徴としてこの空間を残したかったのだと思います。
池に映り込んだ岩の節理がより色濃く見え、この世のものとは思えないような世界が演出されております。この綺麗さを見ていると雨水が溜まったものではなく、湧いてきている水なのではないでしょうか。試しに2mほどの木の棒を突っ込んで探ってみましたが、まったく手ごたえが無く、急激に下へ落ち込んでいるかんじでした。これが清水神社の所以で、水に関する神事を行う理由も分かります。

さて、この山にとってはオマケのような存在になりますが、西登山口付近に防空壕跡があります。入る事もできるし、つながっていたりして面白い場所でした。岩の斜めの節理が見えるのも非常にいい感じです。
耳成山の防空壕と比べてみるとかなりしっかりと作られていて、機械で掘ったもののように思います。

防空壕跡

斜めの節理が面白い


由良山は気軽に登れる地域の散歩山です。そんな散歩山には危険な香りと浮世にはない美しさが存在しておりました。高松の観光地からは少し離れておりますが、足を伸ばして散策してみると、香川の歴史の1ページが埋まり、より楽しく日本を巡ることができるでしょう。

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