葉佐池古墳攻め


2019年09月

愛媛県は古代より大和朝廷とつながりが色濃くあったようだ。当時、温泉郡と呼ばれた道後温泉には舒明天皇、斉明天皇が湯治に来ているし、その温泉郡の隣の久米郡久米官衙に於いて、斉明天皇はひと月ほど停泊しているのである。
久米官衙から小野川に沿いさらに4〜5km上流にさかのぼった所に今回訪問した葉佐池古墳がある。葉佐池古墳からは6世紀中ごろから7世紀の横穴式石室が発見されていて、周囲には須恵器窯跡が多く見つかっている。その須恵器は久米官衙周辺の集落に供給していたことも分かっているという。
また、仁賢天皇・顕宗天皇を播磨で見つけ出した「来目部小楯」の墓と伝承される播磨塚天神山古墳がすぐ近くにあり、天皇家と近しい関係を築く土台があった地域なのである。

小野地区の遺跡分布図 ※クリック拡大
葉佐池古墳のパンフレットによると、伊予鉄横河原線の梅本駅から徒歩で約26分だそうです。私はレンタル自転車を使用し、梅本駅より3つ市街地よりの久米駅から行きましたが、意外と遠くて40分程かかりました。周辺にはほかにも古墳が点在しているのですが今回は葉佐池古墳と駄馬古墳のみの見学となりました。窯跡にも行ってみたかったのですが少し道が分かり辛い、と聞いたのでまたの機会にします。

遠くから異様な光景が見えてくる

古墳の造成経過 ※クリック拡大
小野川沿いに歩を進めていると写真のような異様な光景が目に飛び込んできます。周囲から明らかに浮いている緑の色や展望所のような白い建造物が違和感の元でしょうか。
風景に溶け込めない古墳の造成方法がパンフレットにて説明されておりました。変な帯みたいなものやポリエステルを撒いて古墳を強固に作り直し再現しているようです。古墳といえばそのままの状態で放置している所や石室だけを保存している所が多いと思いますが、最近はお金を掛けて色々なことをやり、あえて周囲と一線を画するような異様な風景を生み出すのです。アートといわれるものに似ている気もしますね!

古墳への入口階段

この階段は展望所

葉佐池古墳の案内所と1号石室は土・日・祝日しか開いておらず、平日の見学は松山市教育委員会に申し込めと書いてあります。古墳から発見された副葬品や2号石室のレプリカは松山市考古館で展示しておるようです。周囲の古墳見学などの予定が無いのならば、考古館で見学するのがお勧めです。
ちょうどこの日は祝日であったため開館しておりましたが、あまり話題にはなっていないのか私以外に客はいませんでした。
駐車場からすぐの所に階段があり、登って行くと保存されている石室へとたどり着きます。

頂上への階段

頂上からの風景

階段を登り切ると山の頂上で、そこに石室見学室があります。階段の途中には馬のアゴの骨が発掘された場所があり、そこでなんらかの儀式が行われたと目されているようです。
頂上からは松山平野を一望に眺める事ができます。付近はなだらかな微高地が続いておりますが、昔はもっとでこぼことした地形だったでしょう。右手に見える山の裾に久米駅があり、官衙跡はそこより少し南側(左側)にありました。

石室見学室内部

復元された内部の様子

石室見学室の引き戸を開け内部へ入ると、外側同様にハッと目を引く異質な光景がありました。土嚢を積み上げ補強した石室の中には、なんと!骸骨が展示されていたのです。
これは当時の推定される状態なのですが、再現しようとしすぎて逆に歴史の重みが無くなっています。この石室には、跡形は無くなっていたものの、3体の遺体が埋葬されていたことが認められており、左側が一番古く、次が真ん中、最後に右側の遺体という順番で6世紀末から7世紀はじめにかけて埋葬されました。布が巻かれたミイラのような遺体には、布のきれが少しだけ残っていたのでこのように巻かれていたと推測しているようです。
このミイラのような右側の遺体によって、葉佐池古墳が全国的に大きく取り上げられる理由となりました。なんと!この遺体にはヒメクロバエのサナギのカラがついていたのです。私は意味が分からず「ハエくらいつくだろう」と思っていたのですが、実はハエは暗い場所では活動しない習性があるそうです。そして、ヒメクロバエが成虫になるまでの期間は一週間〜十数日程度と考えられるので、亡くなってから少なくとも一週間は一定の光と風通しのある場所に置かれていたと考えられるのです。
この期間が「モガリ」という亡くなった人を送り出す儀式を行っていた期間ではないかと推測されるのです。文献によって有名な「モガリ」が考古学的にも裏付けられることになり、葉佐池古墳はこのように保存されることとなったのです。

26年前の発見当初の写真
石室見学室には簡単な説明板しかありませんでしたが、案内所には詳しく説明した資料が掲示されており、説明員の方もおられ色々と教えてくださいます。
数ある資料の中で私が気になったのは26年前の写真です。天井岩が地面に突き刺さるかのように穴に落ちています。現在の復元されたものに比べると、古墳の力強さが垣間見れてよりいい雰囲気だと思います。

駄馬古墳正面

駄馬古墳背面

駄馬古墳石室内

駄馬古墳後ろ岩の踏ん張り

葉佐池古墳のすぐ近所には駄馬古墳があります。こちらは石室がそのまま放置されているタイプの古墳です。この岩がむき出しというのが力強さが出ていていいですし、雑草が生えまくっているのも生命力豊かな感じがします。
そういえば、駄馬という地名についてですが、愛媛県では山がなだらかになった場所の事を指すそうです。この付近が全体的になだらかな地形なのですが、昔は意外と起伏にとんでいたからこそこのような地名が残っているのではないかと思います。

葉佐池古墳はかなり手を加えて再現されているので、古墳好きには物足りない場所かなと思います。ですが、案内所の資料を見てみると色々と発見があったことが分かり、保存されるだけの事はあるんだなと思いました。
上で紹介したマップを見てみると周辺にも古墳がたくさんあります。ですが、どこまで公開されているかは分かりません。あまり信用なさらず見ていただきたいと思います。

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