奥山城攻め


2019年03月

飛鳥城より山田道を越えて北上すると、奥山城がある。(地図はこちらを参照)
飛鳥資料館の裏に立地する城で、飛鳥城とは違い比較的大きな山の中にある。集落の中へと入って行くので道が細く車では少々行きにくい場所だと思う。
奥山城の図(城郭本を参考に作成) ※クリック拡大

皇太神社が目印である。参道の階段が結構な高さで、その隣に控える奥山城からの見晴らしの良さがすでに想像できるのである。リフォームしたのか比較的新しい拝殿や本殿などが建つ境内を通り抜け(本殿前の鳥居が立派な飛鳥石であったことを追記しておく)、作業用道路(?)を上がって行く。すると、門が閉まっているのに行きあたるが目的地はそこではないので、門の横からわが身を山へ滑り込ませる。

奥山城への入口

門の脇から入る


竹藪が物凄くて方向感覚がマヒしてしまい、がむしゃらに登っていくと着いたのはCであった。地形で堀が横たわっている事は理解できるのだが、どこに居るのか把握するのに時間を要した。細い堀に沿ってぐるっと歩いて行くといきなり目の前が開けたので、ここでようやくAを囲む堀Cなのだということが判った。

1.Aを囲む堀Cを通る

2.Aにのぼる


堀Cから主郭であるAに登ってみると、ところどころに丸太があり、木を刈って綺麗に整備していることがわかる。どうして主郭Aだけを整備したのかは分からないが、城とは関係ないように思える。もしかすると持ち主が展望を楽しむために整備したのかもしれない。
周辺の土地が低いこともあり見晴らしは抜群に良い。ここから麓に広がる集落を見守ったり、別の城と手信号をして連絡をとっていたのだろうか。

3.Aから西を望む

4.さらに、遠望す


主郭Aで景色を堪能し東へ向かう。堀Cを境にして細長い土塁状の膨らみが東西に伸びている。高さとしては60〜70cmだろうか、竹が茂りすぎていて形が判別できない。

5.AからBに続く土塁(南側)

6.土塁(北側)と土塁(南側)の間の堀


北側の土塁状に盛り上がった所に上がり東へと進んでBの部分を目指す。Bはやや盛り上がっているものの、そこが何に使用されてたのかは検討もつかない。飛鳥城と同じように考えるなら櫓台があったのかもしれない。

7.土塁(北側)にあがる

8.Bは一番高く盛り上がっていた


Bから南へと落ちる堅堀を見てみる(写真の点々線を付けた箇所)。確かに堀状のものがずっと下へ続いている。いくつ場所を変えて試してみたものの、堅堀だと判明できるような写真はうまく撮れなかった。少し疑問に思うのだが、このような急坂の部分に竪堀など掘る必要があるのだろうか?
Bの隣を走る堀Dは細く深い。この堀で東側の山と西の城を区切っている感じだろうか?

9.Bから南にのびる竪堀

10.Bの東の堀D


堀Dは歩きにくいので再度Bに戻り、そこから北側へ降りていく。北側に2段階ほどやや広い平坦地が作られている。ここは曲輪なのか畑跡なのかは分からない。
A部分から西へ通した堅堀があると城郭本には書かれていたのだが、現在ではまったく分からないようになっているし、繰り返し言うがこれほど急な坂に堅堀は必要ないようにも思える。

11.Bから北に降りた所の平坦地

12.Aから西に延びる竪堀?


竹藪から出てホッと一息。息が詰まりそうなほど竹にまみれていて、飛鳥城よりもかなり歩きにくい場所だった。堀で囲った主郭と付随する堀や土塁状のものが見れるが、飛鳥城よりも小規模だと思う。

山田道を挟んだ南側には飛鳥城があり、中ツ道を挟んだ西側には雷城がある。街道を挟み込むというのが付近を制圧する手法なのだろうか?いくつか城を歩いてみたもののその正体はさっぱり掴めない。これからもぶらりぶらりと歩いてみて空想を膨らませてみたいものだ。

城攻めTOPに戻る