片倉山館攻め


2017年09月

舘山城の東南側になでら山がそびえている。そこの物見櫓なども「舘山城ハンドブック」を手に見物してきた。

まずはマップを。見てきたのは、「羽山館」、「愛宕山館」、「片倉山館」の3つだ。
なでら山の図 ※クリック拡大

羽山館跡への入口

鳥居から一気に上へ上がる

羽山の山頂削平地

羽山からの見晴らし

標高534mの山頂を平坦に整形した物見台形式の山城と書かれている。写真の神社の奥にコの字型の帯曲輪と物見台、南側に帯曲輪と小さい腰曲輪があったらしい。例の如く見た目ではまったく分からなかった。
片倉山館に通じる道路が北東にあると書かれているが、これもやはり分からなかった。
木が生い茂ってて見晴らしは悪いが、見えてるところだとかなり遠くまで見える。ここはやはり物見台として使用していたのだろう。

愛宕山神社と曲輪T

愛宕山からの見晴らし

かなり広い空間の曲輪U

笹野山方面へ行く虎口

標高559mの愛宕山館は楕円状の平坦地で曲輪が二つ存在している。こちらも神社の裏手が物見台で、曲輪Tとの間に土塁と堀切があったようなのだが、これも見た目では分からなかった。
曲輪Uはかなり広くなっていて南の虎口は、関町に抜ける道になっているという。東側にも虎口があり、それは片倉山館とつながっている。
ここの場所は米沢の町(ザワ衆)を眼下に見下ろしとても気分のいいところであった。

片倉山館の主郭(推定)

主郭の反対側(推定)

横堀と思われる所

東側の古志田方面は絶壁

北側の帯曲輪

桝形と思われる所

愛宕山から麓の集落古志田への道が東へ降りていく。その途中の標高400m付近の平坦地に片倉山館の主郭があり、さらに道は続き、主郭が終わると北へ伸びてから東へと傾斜の緩いところに道がグネグネとできている。
主郭部分は通路でちょうど半分くらいに分かれているので、写真は通路から二つ撮った。愛宕山館と同じくらいの広さはあったように思う。
この横堀はハンドブックには縦堀と書かれているのだが、どう見ても横堀にしか見えない。その横堀を越えると片倉山館に入るようで、東側へしばし進んで主郭となる。その主郭の終わりが絶壁になっている。
道は北へ曲がりグネグネと進む。そして帯曲輪や連続桝形(屈曲門?)と書かれているところがある。帯曲輪は確実だと思うが、桝形はちょっと怪しい気もする。

片倉山から米沢を望む
ハンドブックによるとここは伊達の腹心片倉の館という伝承が残っているそうだ。
この景色を見るに古志田の向こうの田は、腰田であったのかもしれない。上杉神社辺りが松ヶ岬ならば、李山の湖水減退後もまだまだ水は残っていたように思える。
そう考えてみると上杉神社付近は孤立しているようにも見え、舘山城や片倉山などに本拠を置いている方が道理といえるかもしれない。


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