寺山攻め


2018/01/02

昨年に続き今年も寺山詣りを致しました。少々変わっていた部分もありますので、ご報告がてら紹介していこうかと思います。
いつも通りに上の太子駅から、今回はリュックと手袋、そして靴もしっかりしたもので来ました。夏にはドンズゥル峰に来たのですが暑すぎて寺山にまで行く気にならなかった。やはり冬はよい季節です。

2018年1月

2017年1月

去年もお詣りした飛鳥部神社。神社の周りがブロック塀で囲まれてしまって、さらに本殿が手前に移動されております。

2018年1月

2017年1月

観音塚古墳の立看板がすっかりおめかしされました。2017年時点では「安山岩」「お棺」と書かれていた部分が、2018年では「石英安山岩」「棺」となっておりました。この言葉使いの違いも歴史を感じられる部分でしょう。

懐かしの観音塚古墳

正面よりのお姿

岩の切り込みが技術

これは後世に書かれたものか?

石槨下部

石槨上部のくぼみもすごい

前回古墳をしっかり見なかったので今回はできるだけ見てみた。写真の羅列になってしまって申し訳ないが、これを言葉で表現する術をもっていないので楽な方法を使いました。
この岩を私は凝灰岩だと思っていたけども、説明板では「石英安山岩」とのことだった。
寺山の下部では岩が一杯落ちていたので、ぶつけあわせて割ろうとしたが硬いのなんの。この古墳を作ることの大変さが良く分かった。さらに平らにならして切れ込みまで入れるのだからすごいと思う。

懐かしの株山

株山の壁面

株山のてっぺん

やられたイバラ

去年と同じように株山に入って行ったけども、今年は人間が通った跡があり、這いつくばる必要もなく楽に通れた。山登りベテランの人はうまいこと道を作るのですね。
靴もしっかりとしたのを履いてきたので、石まみれの道もなんということはなかった。前回はここを寺山だと思っており、一番上まで登ったのだけども、今年見てみるとこんなところよく登ったなと思えてくる。どうやって登ったのだろう?
春日山まで行きたかったけどイバラにやられて断念。このイバラ色々な植物と交雑するようで刺されてからでないと分からない。そして道も途中で分からなくなっていた。
春日山へは距離的にササッと行って戻って、また寺山にも行けるような距離だと思う。

2018年1月

2017年1月

去年はそこまででも無かった寺山の崩壊が今年は進んでいた。写真では分かりにくいが、土砂が中腹にも少し溜まっていてさらに下まで落ちていた。削られた株山はお変わりない姿なのに、不条理とはこのことですね。

2018年1月

2017年1月

看板も少し変わっていて、「12→9神の太子道消失」と書かれていた。行って確認したあとわざわざ戻って来て書いてくれたのだと思うが、大変ありがたいことです。

2018年1月

2017年1月

去年は鉢伏山にたどり着けなくて今年は行きたいなと思っていたら、鉢伏山方面に目印テープがついていたので、これはもしや誰かが開拓したのか?と思い、後を辿ってみたのですが、残念ながら昨年と同じブドウ畑の脇道に出てしまった。
去年の方が綺麗なのは台風の影響でしょうね。
鉢伏山に入って行こうとしたのだが、デカいイバラがあり断念。それを越えてからもどうなるか分からないのでやめておきました。

オウコ山古墳への道

オウコ山からの眺めが一番良かった

鉢伏には行けず時間も余ったので、オウコ山古墳に行ってみる事にした。鉢伏と違って藪まみれではないので、どこからでも上がれそうだったのですが、一応正規の道を通って行った。少し崩れていたのでどこを通っても一緒だったかもしれない。
地図の斜面具合と実際の斜面とを感じながら探したんだけども見つからなかった。後で考えてみても近辺は通ってるはずなので、見通しが悪かったのと、足場の悪さに気を取られすぎたかも。
できたら観音塚と比べてみたいので今後の宿題に残しておきます。

今回のお詣りはこれくらいで終わりにします。前回一度来てるので、今回は気持ちにゆとりがありました。所々変わっていたのも少し新鮮でしたが、見えてなかったものが見えるようになったこともまた新鮮でした。


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