寺山攻め


2017/01/02

本日も麗しい冬のとある日でございます。先日無念にもたどり着けなかった寺山に本日こそたどり着きたいと思います。例のごとく太子駅、そして飛鳥部から観音塚の見慣れた風景を、颯爽と風を切って歩いていく。今日も体調は絶好調のようです。池の所で右手前方に見える山の形を覚え、念のための措置として、磁石で方角も見ておいた。鉄砲使うよ?の看板に一瞥をくれ、足取りも軽やかに前に進んで行きました。
まだしばらくブドウ畑が続いていましたが、200メートル程歩くと山道になっていきました。結構石ころの多い所で歩きにくかったですが、道もしっかりあって迷うこともなさそうだった。
川の跡のようなものが出てきて、道が二手に分かれました。前に進むか右にゆくかなのですが、自分が思っていた山は右にあるので、右に向かいました。そちらは少し坂になっており、道のような道でないような道だったので不安でしたが、頂上付近に看板があったので喜び勇み歩を進めたのです。
この道の先に目指すものが

その看板は例のごとく発砲注意でしたが、ここまでまったく銃声を聞いておりませんので気にせずに進みます。
すこし進むと山の端に出て、向かい側に特徴的な形の山が見えてきました。
「おお!この独特の形。これこそ寺山に違いない!」思わず声を上げる相棒、興奮で顔が引きつっております。
私は相棒に注意します。「まてまて、この独特の形、何か罠があるかもしれぬ。気を引き締めてかからねばなるまい。」そして、周りを見渡しました。
二百メートルほど向こうの正面に独特の山があり、そこへつながるまでの道もありました。ただかなり草が生えており、あちらこちらに小さめの木もあって、かなり通りにくそうだった。
左側は下り坂になって下には池(水たまり?)がありました。右手は崖のようになっており、木が生い茂っていてとても通れそうになかった。
目の前の山の周りには小石が散らばっているように見えたので、採石場か何かで、重機が通る道を整備していたが、ここ数年使われていないとゆう感じでした。
この独特の形がとてもきれいだ

別段発砲もないし見晴らしもいいので、とにかく行けるところまで進んでみる事にしました。
あの山の麓までは草を回避しながらすぐに行けましたが、山の登り口が石ころまみれで、かなり歩きにくかった。そして登った所が二段目なのであと二段登らないとだめなのです。
石まみれがこんなに歩きにくいとは思わなかった

とりあえず進みやすいところへ進んでみますが、太めの木が茂ってるとホフク前進するしかなくて、そのうえイバラのやつが時々刺さってきやがりました。
「罠だ!!引けえええ!!」と、叫びたい気持ちをぐっとこらえ先に進みます。
ここまで来て帰るわけにも行かないので頑張って進み、山の反対側に回り込めました。そこから三段目四段目と上がりやすい?ところがあったので、そこからどんどん上がって、半分這いながらついに到着しました。
そう寺山祭祀場があったと言われる場所に苦労の末到着しました。
イバラが痛いのをここで初めて知った

「あれ?なんかおかしくなかろうか?」相棒が疑問を投げかけました。
私もそう思ってまして、本では頂上はかなり広い平坦地になっていて、祭祀に使ったと思われる石が、不自然にあちらこちらにあった、と書かれていたが、ここは少し背の低い木がズラッと綺麗に並んでいて、石はなくて平坦地でも無かった。
さすがに違いすぎるので、ここからはさっさと退散して寺山を目指すことにしました。
帰りは滑り落ちたりして楽しみながら帰りました。一度汚れると気楽になってしまいますよね。気をつけていたはずのイバラにまた刺されるアクシデントもあったが、無事に戻ってきました。

初めの分岐点まで戻って来た我々は、もう一つの道を否応もなく進むのだった。
とにかく道のような所を進んでいると、看板が出てきました。「火の用心」という文言と数字が記されております。この数字の方向に進めば何かがあるに違いないと、その看板の通りに進んでみる事にした。
しかし、この辺りからはどこの方角も道のように見えてくる。少々草が茂ってる程度だとまったく気にならなくなってしまい、とにかくどんどん進む。そしてとうとう名前が書かれた看板に到着した。
ここに寺山・鉢伏山・新池・株山、と書いてあり。我々が先ほど行っていたのは株山だとここで気づく。新池は観音塚の手前にあった池の事なので寺山方面に向かいます。
ここまでは、株山に行った以外は、別段道の間違えもなく、発砲もなく、一度イノシシなのかイタチなのかが藪から飛び出して、猛スピードで逃げたのを見ただけで、スムーズな行動で完璧でした。
この看板見えてからは自信がでてきた

看板の通りに進んでいると、途中から木にカラーテープが巻き付けられている事に気づいた。なんじゃこりゃ?と思ったが、道しるべだということに気づき、それにそってバリバリ進む事が出来た。なにせ初心者だから非常に助かった。
そして、頂上付近に近づいてくると、大きめの石が所々に出てきました。しかし、木が生い茂っているし、祭祀に使われたようには見えず、ただそこにある石のようしか思えなかった。
不自然な石組といえばそう見えるかも?

そこからすぐに頂上に到着し、周りを眺めてみました。頂上は確かにかなり広い平坦地になっておりまして、なんらかの遺構はあったのかもしれませんが、現状では木も生い茂っておりまったく分かりませんでした。書かれていた事を勝手に想像していただけに、少し残念な気はしましたが気にしないでおきます。
本ではここに河内王朝の宮殿があるのでは?みたいに書かれてたけど、さすがに奥まりすぎてる気がしますね。やはり祭祀場だったのでしょうね、お墓も一杯あったわけだし。
ここで持参した弁当を食べました。山を間違えたけども、苦労して登って来たので、弁当がうまい。後は降りるだけだし楽勝でしょう。
この頂上部分はかなり広い平坦地でした。削ってるのか?

せっかくなので、鉢伏山を見てから降りようと思い、鉢伏方面に行きました。
こちらは誰も行かないようでテーピングが全くなかった。さらにどこも道のように見えるので、もうどこに向かってるかまったく分からない状態でした。ただ、立って歩けるだけでもありがたいので、そっち側に向かってればそのうち着くだろうと思って進みました。
途中草むらの中に石のようなものが見えたので行ってみると、見晴らし台のようになっていた。ここで気分を入れ替え気力を充実させました。
この頂上部分はかなり広い平坦地でした。削ってるのか?

さらに進むと案内板が出てきて、寺山・新池、の表示が・・・、どうやら鉢伏山は通り過ぎてしまったようです。戻っても見つける自信はないので、もう新池に向かいます。
なんと!案内板の通りに進んだはずなのに、ブドウビニールの裏手に出てしまった。そのビニールとビニールの合間を縫い降りるとまたもや看板が・・・、これが正規ルートだったのかとびっくりした。
あまり思ったようには見れませんでしたが、仕方ないので新池に戻ります。
意外にもこれが正規ルート

新池まで戻る途中、ブドウ畑の中で古墳がないかと見て帰ったが、それっぽいものはあったけど明らかなのは無かった。
このままでは帰れぬと、どこかの畑の中に古墳が無いかと、かなりブラブラとして、霊園の所まで行ったりしましたが、結局一か所だけしか見つからなかった。
人も居なかったので入るわけにもいかず、隠し撮りをして満足しておく事にしました。そして、今回の寺山攻めは終焉を迎えました。
ブドウ畑の中の古墳と、寺山の頂上のなんらかの石組が目標でしたが、共に中途半端な感じでしか見る事は出来なかったので、次回はもっと上手に観光してみようと思います。
唯一見つけた畑古墳。もう少し近くで見たかった

ーーーあとがきーーー

間違えた株山というのが気になって、帰ってネットで調べてみましたが、あまり詳しい事はわかりませんでした。
地図で見ると太子町ミカン農園の春日山の裏手の山が株山でした。古代にサヌカイトを採取して加工してた遺跡があったようです。それを結構前に発掘してるようなので、重機が通る道はその時に作ったものなのかもしれない。
次回また行ければもう少し丁寧に見て回りたいです。

古墳群に関してはほぼ分からなくて、観音塚はすでに見せるためのものになっており、違う場所で見つけたもう一つは遠目でみれましたが、観音塚より小さくて農機具もあまり入らなさそうだった。
ただ、河内飛鳥の古墳群は、他の所のように保存できずに、破壊利用されましたが、所々残った所は看板を立てて、名前を付けて残してる所もありました。
大和飛鳥は有名になった高松塚やキトラ古墳を、すごい大きな公園にして資料館を作り展示しておりますが、他の無名なところはそうでもないので、案外河内と変わらないかもしれない。
また本などで飛鳥の事やブドウ畑以前の産業の事などが分かれば、訪れて観光してみたいなと思っております。

山に登るとゆう事を甘くみていたようで、手提げカバンに弁当入れて運動靴で来ましたが、非常に動きにくかった。
これまでは道があるものだと思っていましたが、道が無い、もしくは、通れる所が道とゆう認識で行かないとダメだと気づかされました。
それが新鮮で、今回感じた事の中では一番面白かった事かもしれません。寺山は初心者向けの登山にはとてもいいところかもしれないですね。
このあとちょっといい靴を購入したので、また寺山登りに挑戦してみたいと思います。

一日目

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